煙草と悪魔

WHOが映画の喫煙シーンを成人指定するよう勧告したと話題になってました。

http://www.cinematoday.jp/page/N0080024

こちらはこのブログで9年前の2007年2月に書いたものです。
(いちおう追記しておくと最近はこれを書いた当時ほど喫煙シーンの描写にきびしくない印象です)

2次元を超えて

で、この手の話題に必ずつきまとうのが影響はあるのかないのか問題です。
その点につきましては2013年8月のこちら。
「非実在児童ポルノ」みたいな単語が話題になってたころなのですかね。
ちょっと長いですが。

瞳の中のアンファンテリブル


「映像に影響力はあるのか」といわれれば、みなさん「ある/ない」とおっしゃりますが、アニメでごはんを食べている里見としては「あります」としかお答えしようがないので困ります。
これを否定すると、映像を見せて商品を購入していただくCM(ひいてはそのスポンサー料で番組を制作しているテレビのビジネス)が成り立ちません。かつてはアニメも「30分のコマーシャル」と揶揄されてきたようにおもちゃを売るために制作されてきました。今は多様化していますのでおもちゃとは限りませんが、映像制作費を回収するためのマーチャンダイジング的な何かが存在しています。でないと継続的に映像制作ができないですからね。

それなのに今さら「映像見ても何も影響ないですよ」とか「教育的にいい影響はあたえるけど悪い影響はあたえないですよ」みたいなことは口が裂けても申せません。
ただ「きれいなものだけ見せて育てる」のはなかなか困難です。朝起きてから寝るまでで視野に入るものの何割が「映像」か考えていただければわかるように、影響力のほとんどは「映像」ではなく「周囲の環境」から受けています。

とはいえこれも世の流れですから、流れに掉さす派のぼくとしては「過去作は尊重していただきたいが、これからつくられる映像について喫煙シーンをなくしていく方向で」とか「成人指定はやりすぎだけど、ポスターに喫煙マークを明記しましょう」あたりでうまく落ち着くとよいかなあと思います。

卑下と母音

日本語は母音の数が5しかないので、同音異義語がとても多いといわれています。
より正確には「母音が少ないにもかかわらず、母音の多い中国語や英語を取り込んでいったから」ですかね(たとえば日本人は L と R の区別がつかないといわれますが、英語の lord と road は違う音だったのに日本語に取り込まれた時点でどちらも「ロード」となって同音異義語になってしまいます)。

これはツイッターの140文字が英語だと足りないが日本語だと充分だとか、にもかかわらず英語を日本語に翻訳するとページが2〜5割増しになるといったこととならんで、母音が少ないなか古来より中国(近年はアメリカ)の影響を受け吸収し続けてきたという日本語の歴史的な特徴と申し上げてよいかと思います。

「汚職事件」と「お食事券」や「ヤクザ医師」と「薬剤師」のようにけっこう長い言葉でもあります。

単語でなくとも「開くの10時か/悪の十字架」とか「ねえ、ちゃんと風呂入ってる?/姉ちゃんと風呂入ってる?」とか「猫のタマ、しーっ!/猫の魂」なんてのがその昔教室で流行ったりもしてました。

これでよくコミュニケーションに支障をきたさないものだと驚くばかりですが、ほんとうのところはしょっちゅう支障があるのだけど、なんとなく運用でカバーしているのではないかと。
で、書き言葉と話し言葉が分化したり漢字仮名交じり文が生まれたりしていくうちに、むしろ「地口」や「駄洒落」や「掛言葉」として積極的におもしろおかしく活用してきたのだと思います。ここ1000年ぐらい。

最近だと日本語ワードプロセッサの変換機能(おもに誤変換)の発達や隠語を好む匿名掲示板によって「積極的活用」が加速しているように感じます。


そのような適当な言語でコミュニケーションしているのですから、常に相手を傷つけてしまっていないか、失礼にあたらないかと気にしながら書いたりしゃべったりするはめに陥りがちです。
おたがい日々の言動にいちいち憤らずにおおらかにいきたいものです。

みそ汁とスプーン。

打ち合わせのあいま、この時間になにかおなかにつめておこうとぼんやり歩いていたら、喫茶店のホワイトボードに書かれた「本日のおすすめカツカレー」が目にとまりました。

喫茶店は時間のコントロールがしやすいので、外での打ち合わせが多いぼくにはとてもありがたい存在です。

ちょっと古風なカツカレー(もちろん真っ赤な福神漬つき)にはみそ汁がセットになっていて、ふとこどものころのわが家もカレーの日はみそ汁だったことを思い出しました。

運動神経至上主義の世界に生きるこどもにとって、ほとんどの場面で本好きでいることは不利にしかならないなか、数少ない利得のひとつとして

「走れメロス」以外の作品で太宰治と出会える。

というのがあります。
教科書に載るために書かれたような「走れメロス」がこの世に存在するのは教科書の編集者にとってはまさに幸運で、太宰治には不運な気がします。
といいつつぼくの太宰ファーストコンタクトがなんだったか覚えてないのですけどね。
でもその最初期に『斜陽』があったのはたしかです。

というのもわが家でカレーライスとともに出されたみそ汁はスプーンで飲むことになるのですが、こどものぼくはスプーンの先端から音を立てないようにすするのです。
『斜陽』を読まれたかたはご存知だと思いますが、これはその冒頭で丹念に軽やかに描かれる「お母さま」のスープの飲みかたなのです。

これはもう染みついた癖になっていて、おとなになった今も無意識のうちにスプーンの先からスープを飲んでましたし、ステーキは全部切り分けてからフォークを右手に持ち替えて食べてました(こちらも「お母さま」の食べかたです)。

喫茶店のカツカレーとみそ汁の組み合わせから、はるか昔、読んだ内容もうろ覚えの『斜陽』が急に浮かびあがってきて、どうせならこどものぼくがスプーンでどうやってカツを食べてたのかのほうを思い出せればいいのに人間の記憶って都合よくいかないものだなあと、スプーンの先からみそ汁をすすったのでした。

それはそれとしてカツカレーおいしかったです。






蟹座? なんだデスマスクか。

世間的には認められてるけど自分の中ではまったく効用を信じてないものというのが、いくつかありまして、

たとえば温泉なんかもそうです。
「広いお風呂に入る」以上の効果ってあるのですかね? 成分のほとんどは「水」ですよね。飲んでミネラル補給とかならまだ理解できるのですが、皮膚から身体に浸透する効能というのはあまりぼくにはイメージが湧きません。
もちろんあったまるし開放感もあるしなにより「くつろぎの旅行」効果が上乗せされるので、ぼくも温泉は好きです。ただ薬効を信じられないだけです。

あと磁気で肩こりが治るとかもですかね。MRIにつっこまれても血行がよくなった気がしないですからね。

この手の「理解できない」感は信じてるひとを不快にさせるだけですので、ふだんあえて表明する必要がないものです。

ところが「同じようなもの」にテレビや雑誌でもよく見かける「星座」や「血液型」による占い/診断というものがあります。

これはとてもむずかしいです。
冒頭述べたのが(仮にぼくが正しいとして)「プラシーボ効果」だとすれば、わが社の名前の由来でもある「バーナム効果」と呼ばれるものなのですが、これが他者に向けられると「差別」につながるものでもあります。
とはいえ日常会話ですから、目の前の話者を不快にさせてまで否定するほどでもないし、(少なくとも日本では)広く認知されているものでもあります。

とくに解決法もないのですけど、他者に向けられているかどうかがポイントで、おそらく広く宗教と呼ばれるような「信念」も同様にあてはまるのではないかと思います。

HP更新しました

ずっと放置していたHPを更新しました。

http://barnumstudio.com/

実はこのブログ以外にHPも持っていたのです。
今まで3か月〜半年に1回ぐらいの頻度で更新してたのが、ここんとこ1年ぐらいすっかり失念してました。
ご覧のとおり里見の備忘録的なものでたいした情報も載っていないのですが、更新されないHPに不信感を抱かれ新規のクライアントさんをのがしている可能性もゼロではないですからね。

おもな更新点ですが、「Works」を2015年まで作成しまして、ライデンフィルム案件をはずしてバーナムスタジオ案件だけにしました。結果2013年以降はライデンフィルムのお仕事が多いため、バーナムスタジオとしてかかわっているタイトル数が減っています(合わせて記載してもいいかなとちょっと思いましたが、それはそれで個人会社であるバーナムスタジオタイトルとしてはある種の「水増し」なのでやめておきます。ライデンフィルムのタイトルはお手数ですがあちらのHPでご確認ください)。

また半年後ぐらいに更新しようと思います。

かつてプロデューサーに求められてた(気がする)こと

今とくらべていくらか牧歌的だった昔はとても重要視されてたのに、もはやまったく考慮されなくなったプロデューサーのスキルというのがいくつかあるのですけど、そのなかには言葉としてすら消えてるものがあるのにに気づきました。

それはたとえば

「ホンが読める」

というもので、しばらく前まではよくつかわれていて、ぼくも「おまえはホンが読めるからえらい」という風におだてられてました。
「ホン」というのは脚本のことです。
昔はこの「ホンが読める」というのがとても大事だった(といわれてた)のですが、いつのまにか消えてました。
今はそんなこといわれる機会もありません。
どこにいってしまったのでしょうね。
おかげで最近まったく誰からもほめられません。

ぼくは転職したらそこにいた碇司令(仮名)から開口一番「お前はプロデューサーだ。嫌なら帰れ」といわれて何も知らないズブの素人からいきなりプロデューサーになってしまったため、当時はたいそう心細かったのですが、それでもなんとかなった(と本人が思えてる)のはこの「ホンが読める」が評価される時代だったからというのも一因だったと思います。

じゃあ「ホンが読める」ってどういうことよ。
という話です。

当時は「センス・オブ・ワンダー」的なあいまいな理解しかしてなかったのですが、現時点のぼくの言葉でかいつまんでご説明すると、プロデューサーにとってこれはふたつありまして

「脚本から映像を想定する能力」
「想定している映像を脚本に落とし込む能力」

です(「プロデューサーにとって」と限定しているのは役者さんの「ホンが読める」はまたちがいそうだからです)。
監督/脚本家/プロデューサーの三者がそれぞれの立場でこのふたつの能力を駆使することで脚本会議が執り行われてました。

ぼくは当時ほんとにただの素人だったのですが、たまたま学生時代からアホみたいに本を読んで映画を観てきたストックのおかげで、かろうじて立場を維持できたのではないか、というかその知識を総動員して「ホンが読める」ようにふるまうことでなんとかプロデューサーとみなされていたように思います。


今はプロデューサーの数も増えて、脚本会議の参加者も増えましたし、いつのまにかアニメが「コンテンツ」なんて呼ばれて「商品/ビジネス」となっていくなかで騙しあいみたいな駆け引きも(ほとんど)なくなりました。求められている内容もハイコンテクスト化が進んでいる気がします。
上記のようなことはいわば「洗練」であり、それによってプロデューサーの機能が変化してきているということなのでおおむねいいことだとぼくは考えています。

フィルムをつくる側の監督や脚本家にとってはまた異なるのですが、少なくとも複雑な製作委員会方式でのプロデューサーにとって「ホンが読める」は監督/脚本家と対峙するうえでの必須能力ではなくなってます(麻雀の点棒計算できるひとと同じで卓にひとりいれば充分ですからね)。

というかむしろ今となってはなぜ尊ばれるスキルだったのか不思議な気もしますが、それが「牧歌的」だったということなのかもしれません。

まあそんなわけで、なにが幸いするかわかりません。
親や周囲の意見に従わずに本を読み続けてきた日々のおかげで職にありつけてよかったです。

マスプロダクツの慣性

「ある画期的な技術」が開発されたとします。
それがかなり画期的なものだったとしても多くの場合「大量生産」されるまでにタイムラグがあります。

これは技術導入までの試行錯誤や、かかわるひとたちのオペレーションの徹底、何より先行投資が必要になってくるというのが大きな理由かと思います。
なのでアップルやサムスンやグーグルといった巨大企業であれば、社内でどうにでもできてしまうので、それほど問題にならずいきなり世の中に夢の技術が提供されたりすることもあるかもしれません。

アニメでいえばおそらくピクサーのようなところは別でしょうが、ふだんテレビで放送されているアニメの

「いろいろな会社で仕事をされているフリーランスのかたがたや、国内・海外の複数社の外注さんにお願いをして、ローテーションを組んで毎週30分アニメを納品する仕組み」

も、試行錯誤やオペレーションや資金を必要とする「大量生産」です。なおかつ制作現場はタイトルごとにメインスタッフが入れ替わりますので、プラグイン程度なら問題ないですがスタジオごとで過度に制作手法が異なると、業界を支えているフリーランスのみなさまを混乱させることになってしまいます。
そのため新規技術の普及はスタジオ単独というよりは業界全体での取り組みになっていきます。

なのでいきなり新規の技術が投入されたり、プロジェクトの途中で変更が加えられることもあまりありません。
もしそのように見えるとしたら水面下というか気づいていないところで、「大量生産」に向けた試みがくりかえされています。


今はアニメの需要がとてもある時期ですので、大量生産能力を維持しつつゆるやかに移行が望ましいです。とはいえ実際には、フリーランスシステムはその「変化への対応能力の低さ」と同じもの、いわば「慣性」によって、多数派が見えた段階でそちら側に天秤が急激に傾くのですけど。

 

NHKと検閲

昨年の春に書いてアップしなかったものなのですが、新年の抱負にちょうどよい内容となっていましたので、いまさらですがあげておきます。

下記文中で講談社さんとNHKさんの名前があがっているのは、ちょうど辻村深月さんのドラマをめぐる裁判沙汰が起こっていた時期で、こちらはすでに和解が成立していますのでお気になさらず。


-----以下本文-----

講談社さんを「ほとんど検閲」と訴えてるけど

「おたくの会長がやってるのがほんとの検閲ですよ」

とお伝えしたくなる最近のNHKさんですが、アニメーターの賃金が低い問題をニュースにしてたそうです。

それならNHKさんのアニメは今までどのような条件で発注されてきたかもつまびらかにしてたらおもしろかったですよね。

というのは冗談としても、これは早急に改善するべき問題であります。

SIer さんに置き換えると2次、3次、4次と連なる多重請負構造とたいして変わりません。『ビッグデータ・コネクト』で得た知識ですけど。
冒頭のNHKをNTTデータに、アニメーターを下請けSEに置き換えて「NTTデータさんが、下請けSEの賃金が低い問題をニュースにしてたそうです」とするとなんとなくぼくがもやもやする気分が伝わるかもしれません。
大元の予算が潤沢かどうかの差異はありますが。

ともあれ構造的になんとかしないといけないのでがんばらないとですね。

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というわけでがんばらないとですね。

伝統のはじまり

「おせち料理」がお重に詰められた今の見慣れたかたちになったのは意外と最近で、戦後のデパートの影響といわれています。

「初詣」も明治中期から大正にかけて鉄道会社のキャンペーンとともに広まったものですし、「年賀状」も(考えてみれば当たり前ですが)郵便と郵便はがきによって普及したものです。

お正月に限らず日本古来の「伝統」と思い込んでいるものが(起源こそ奈良時代やら江戸時代やらにさかのぼったりしますが)、実際広まったのは明治以降でしたというのはとても多いです。

「バレンタインデー」なんかもそんな比較的最近の「伝統」のひとつかもしれません。
翌月に「ホワイトデー」ができるなんて聖バレンタインさん(ローマ帝国の迫害により殉教)も驚いていることでしょう。これは日本のお菓子業界が発案したものです(愛媛ではそのさらに翌月を「オレンジデー」にしようという動きもあるようですが、こちらの普及はもう少しかかりそうです)。
ちなみに「ホワイトデー」はアジア圏にはそれなりに広まっているようで、おとなりの韓国では「オレンジデー」と同じ日(つまりバレンタインデーの翌々月、ホワイトデーの翌月の4月14日)にジャージャー麺を食べる「ブラックデー」というものまでできています。

最近だと新たな「伝統」として「恵方巻」がコンビニエンスストアによって普及しつつあります。

「伝統」というとかたくるしいですが、案外いいかげんな理由で簡単に定着していたりもします。
日々の生活や仕事のなかの「ずっとやってることだから」を当たり前に受け入れずに、どのような由来や起源があるのかをたまには相対化してゆっくり考えてみるのもいいかもしれませんね。

新年あけましておめでとうございます

さて最近のアニメの制作期間はだいたい1年半ぐらいです。
ものによっては2年以上かかります。
ということは今年アニメ業界に起こるよしなしごとはすべて去年、おととし(場合によってはさきおととし)のうちに種がまかれていることになります。

ついつい目先のことに気を取られがちですが、それは2年前に決断して指し示した因果の潮流の軌道修正でしかありません。

同様に今年これから取り組むものは 2017〜8 年以降に芽吹くものですから、大きな方向性だけは見誤らぬよう心がけつつ、いまや停滞こそが最悪手でありますので、慎重になりすぎず大雑把に決断していきたいと思います。

本年もよろしくお願い申しあげます。

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バーナムスタジオ

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