「プロフェッショナル」の条件

ことのよしあしはともかくとして、東京オリンピックのあれこれを拝見していると、複製時代どころかインターネットによる検索時代/共有時代が到来し、新しい「プロフェッショナル」の条件が生まれつつあるように感じます(ここ数年ですでに「学者」「政治家」「音楽家」あたりの権威は撃墜されてまして、今回は「デザイナー」です)。

とはいえぼくの脳裏に去来する風景は「未来」ではなくて、

「毎度医者を追い出してしまう過疎の村とその村びと」

なので、むしろ「過去」もしくは「人間の本質」みたいなものなのですかね。

結局のところ、「プロフェッショナル」が蓄積してると思われた「技術」や「センス」への信頼が損なわれてしまいましたので、これから求められる「プロフェッショナル」の条件は「完璧なオリジナリティ」か、さもなくばある種の「鈍感さ」とか「ディスコミュニケーション能力」ともいうべきものかその両者な気がします。
ヒトのオリジナリティなどたかが知れてますので一時的にはほとんど後者になっていくかもしれません(もちろんその後揺り戻しがあると思います)。

こうやってある意味守られてきた既存の「プロフェッショナル」が失墜していくのがよいことなのか悪いことなのかわかりませんが、今この瞬間はとても厳しい視線にさらされています。
もし仮にぼくが建築家やデザイナーだとしても後継を志願する勇気はとうていないので、オリンピックを開催するって大変なことだなあと思いました。

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