シェルタリング不快

なんかこうネットで「かくかくはしかじかであれ」みたいなことを書いたり、ひとの気持ちを意図したりしなかったりでつい逆なでしたりと、ネットでは日々どこかしらで火の手があがっております。

別に他人の考えがどうあれ関係ないといえばそれまでなのですが、それが「差別」や「弱者への嘲り」を含んでいると「みなさん」の正義に着火して簡単に炎上してしまいます。

とはいえ発端となる「差別/蔑視」は主観的には「正当なもの」か「不快なものの排除」として発生してしまうものですし、それに対するネットの発言や表現への反発もまた「正当なもの」か「不快なものの排除」ですから、原因も結果も同じような「人間性」に基づくものだと思われます。

これはつまるところ「快/不快」の話です。
もし自分が/相手が「なぜこの発言を強烈に批判するのか」「なぜこの発言を擁護するのか」に論理的な一貫性を見出そうとすると複雑怪奇になっていきます。
こと「差別/蔑視」は多数決にゆだねるものでもないですし、単に「こっちのが快い/こっちのが不快」の感情的な選択でしかないので。

基本的に「悪意は最後の選択肢」ですから、「この発言に悪意がある」と判断するのはほかの解釈がすべて断たれたあとで間に合います(とはいえだいたいは「うっかり」か「無知」で解決です)。

そしてもしその反応が「正しさ」や「生理的嫌悪」によるものであればひと晩寝かしてから発言するぐらいで、現生人類にはちょうどいいかもしれません。


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