大学時代の政治活動の話

大学時代といいますともう20年ほど前のことなのでうろ覚えもいいところですが、京大でストライキとかいうニュースを見かけて思い出したことをつらつらと。

ぼくが学生のころ、大学構内には立て看があちこちにあり、壁という壁はチラシで埋めつくされてました。

講義の前には大学自治会による大学糾弾のビラ配りとアジ演説があって、それが終わると授業がはじまっていたのです。
自治会に限らず「革マル」とか「民青」とかなんかいろいろな団体のかたが大学当局だけでなく米帝とかへの抗議活動をされていました。
東京の大学は汚いなあと思いましたが、よく考えたらほかの大学を見たことないので大学というのはそんなものなのかもしれないと納得してました。
ぼくは興味なかったのでよく覚えてないのですけど。

そういえば入学式のあとに自治会への勧誘イベントのようなものがあって、てっきり大学のオフィシャルなイベントだと思い込んで(主催側からすれば思い込ませて)新入生はみんな自治会のかたのお話を拝聴してたのですが、だんだん「???」となっていき、ぼくはたまたまとなりに座っていた同じ新入生と抜け出して、そのままさっき勧誘されたサークルがあるからいっしょに行こうかといわれて顔を出したのが、のちに幹事長まで務めることになるワセダミステリクラブでありました。
まったく何が起こるかわかりませんね。

さて、一事が万事そんな感じで抗議活動をおこなう意識の高いかたと、ぼくのようなふつうの学生との温度差はとても大きかったのですが、たまにバリケードをつくってロックアウトみたいなことが行われていました。
これがなぜ学生の間に大きな温度差があるのに成立するかというと、ロックアウトが行われるのがテスト期間だからなのでした。

ばかですね。

そして多くの講義は当日テストができないとレポート提出に振替えになることが判明して、よりめんどくさくなるのでロックアウトは下火になっていきました。

今はどうか知らないですが当時のクラブは大学から半分ぐらい補助金をもらい、残りを部費としてクラブ員から徴収して運営してました。みんな貧乏なので正直財政は豊かではありません。
そのころそこに加盟して年に一回クラブ内でじゃんけんに負けたひとがシュプレヒコールに参加するとお金がもらえる団体みたいなのがありまして、お金目当てで所属してました。今もあるのですかね? 「文連」とか「サ連」とか。もう正式名称も覚えてません。これもバックは「革マル」とか「原理」とかいわれてましたがお金の魅力にはあらがえません。そもそも「革マル」も「原理」もなんだかよくわかってません。

さらに早稲田祭も自治会が運営していてキャッチコピーもなんだか「世界に蔓延する米国帝国主義を打破せよ」みたいな感じでした(ちなみに検索したら今年の早稲田祭のキャッチコピーは「誇りで彩る、都の西北」だそうです)。パンフレットが自治会の活動資金になってるんだよと先輩に教えてもらいましたがどうだったんですかね。
どうでもいいんですけどぼくが幹事長のとき、早稲田祭の前日、構内に泊まり込んでたのですが、ウォッカを飲んだあとにラムを飲むと水みたいだひゃっはーと交互に飲んでた先輩クラブ員がぶっ倒れて真夜中の文学部キャンパスのスロープの上まで救急車がきてしまうというハプニングが起きてしまい、ぼくは役柄としてシラフなのに一晩中病院で過ごすはめになりお医者さんに怒られ看護師さんに呆れられ、徹夜明けの早朝覚醒した先輩を見送ったあと、早稲田祭初日の賑わいのなか自治会の呼び出しをくらって、段ボールやベニヤで迷宮みたいになってる学生会館まで行って学生とは思えない自治会のかたに謝り倒したあと、復活した先輩が現れて大変申し訳ないが記憶がないので謝りたくても謝る理由がないんだよねといわれたりしたのもいい思い出です。
その数年後、学生会館は取り壊され、早稲田祭はしばらく開催されなかったそうです。

このように政治とノンポリ学生は共存しておりました。
当時はニュースにならないので社会的に知られていないだけで。
何かあるたびに最近の学生は云々となりがちですが、ぼく個人の記憶を呼び起こす限り昔の学生もダメなやつはダメで、今も昔もたいして変わりはないか、今のほうが少しマシになっているのではないかと思います。



まあこの話のすごいところはこれが90年代の話だというところですかね。

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