井上敏樹『月神』を読みました

われらが井上敏樹師匠の小説最新作『月神』がめでたく出版されました。

前作の『海の底のピアノ』は、かつて井上さんが手がけた「平成ライダー」シリーズから、商業作品としての要請を削ぎ落としていくという「純化」をつきつめた果ての世界が描かれていました。
それは思えば必然です。
本職であり商売である脚本家としての成功が示す「作家性」と「商業性」のバランスに対して、個人で完結できる「小説」というメディアでは(本職でもなく商売でもないため)「商業性」が限りなく薄められ「作家性」だけがたたきつけられた結果だからです。
「平成ライダー」と「同じ」ものを描いたはずの世界では、「同じ」ように無垢な「異能」のせめぎあいと、苦悩や歪みが描かれているにもかかわらず、その純度のためにまったく異質なものに変貌しています。
脚本家であり続けたために遅らされていた「小説家・井上敏樹」のデビュー作はそのようなものでありました。

では第2作はといいますと。

前作のつくりこまれた繊細さはどこへやら、主人公は身長2メートル超、体重180キロの筋肉の塊のような人殺しの「老人」です。
彼の一人称で過去と現在が交互に語られ、その思考と肉体の特異性が浮き彫りにされていきます。
と、表面上はまったく異なるにもかかわらずこの2作は「井上敏樹」という作者でしっかりつながっています(本人を存じ上げているからかもしれません)。

ロマンチシズムを排除し筋肉の鍛錬に余念のない男が迎える老境の「現実」は残酷であるにもかかわらず、どこか「現実離れ」していて、タイトルにもなっている「月」と「神」のロマンチシズムが溶けこむ余地が残されています。

本作に対して「ハードボイルド」というくくりが散見されて、これはそのような話ではないと違和感を覚えてしまったのですが、まあそんなことはどうでもよくて。
読んでもらえればわかるように、本来小説に現実味をあたえるはずのリアルな単語を積めばつむほど「現実」から遠ざかる独特のドライブ感がきちんとコントロールされ常に「娯楽」を指し示しています。
つまり「小説家・井上敏樹」はこれで小説の書きかたを体得したはずなのです。

つまりのつまり、おもしろいのでみなさま安心して読んでください。


ぜひ次々世に作品を送り出していってほしいものですね。

コメント
コメントする








   入力情報を登録しますか?
この記事のトラックバックURL
トラックバック
バーナムスタジオ

categories

archives

links

profile

others

search this site.