かつてプロデューサーに求められてた(気がする)こと

今とくらべていくらか牧歌的だった昔はとても重要視されてたのに、もはやまったく考慮されなくなったプロデューサーのスキルというのがいくつかあるのですけど、そのなかには言葉としてすら消えてるものがあるのにに気づきました。

それはたとえば

「ホンが読める」

というもので、しばらく前まではよくつかわれていて、ぼくも「おまえはホンが読めるからえらい」という風におだてられてました。
「ホン」というのは脚本のことです。
昔はこの「ホンが読める」というのがとても大事だった(といわれてた)のですが、いつのまにか消えてました。
今はそんなこといわれる機会もありません。
どこにいってしまったのでしょうね。
おかげで最近まったく誰からもほめられません。

ぼくは転職したらそこにいた碇司令(仮名)から開口一番「お前はプロデューサーだ。嫌なら帰れ」といわれて何も知らないズブの素人からいきなりプロデューサーになってしまったため、当時はたいそう心細かったのですが、それでもなんとかなった(と本人が思えてる)のはこの「ホンが読める」が評価される時代だったからというのも一因だったと思います。

じゃあ「ホンが読める」ってどういうことよ。
という話です。

当時は「センス・オブ・ワンダー」的なあいまいな理解しかしてなかったのですが、現時点のぼくの言葉でかいつまんでご説明すると、プロデューサーにとってこれはふたつありまして

「脚本から映像を想定する能力」
「想定している映像を脚本に落とし込む能力」

です(「プロデューサーにとって」と限定しているのは役者さんの「ホンが読める」はまたちがいそうだからです)。
監督/脚本家/プロデューサーの三者がそれぞれの立場でこのふたつの能力を駆使することで脚本会議が執り行われてました。

ぼくは当時ほんとにただの素人だったのですが、たまたま学生時代からアホみたいに本を読んで映画を観てきたストックのおかげで、かろうじて立場を維持できたのではないか、というかその知識を総動員して「ホンが読める」ようにふるまうことでなんとかプロデューサーとみなされていたように思います。


今はプロデューサーの数も増えて、脚本会議の参加者も増えましたし、いつのまにかアニメが「コンテンツ」なんて呼ばれて「商品/ビジネス」となっていくなかで騙しあいみたいな駆け引きも(ほとんど)なくなりました。求められている内容もハイコンテクスト化が進んでいる気がします。
上記のようなことはいわば「洗練」であり、それによってプロデューサーの機能が変化してきているということなのでおおむねいいことだとぼくは考えています。

フィルムをつくる側の監督や脚本家にとってはまた異なるのですが、少なくとも複雑な製作委員会方式でのプロデューサーにとって「ホンが読める」は監督/脚本家と対峙するうえでの必須能力ではなくなってます(麻雀の点棒計算できるひとと同じで卓にひとりいれば充分ですからね)。

というかむしろ今となってはなぜ尊ばれるスキルだったのか不思議な気もしますが、それが「牧歌的」だったということなのかもしれません。

まあそんなわけで、なにが幸いするかわかりません。
親や周囲の意見に従わずに本を読み続けてきた日々のおかげで職にありつけてよかったです。

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