ディスプレイの中の戦争

「娯楽とは何か」の定義はいろいろありますが、本質的には「楽しい体験」だと考えています。

さらに「体験」つまりいわゆる「五感」それぞれに「楽しみ」があって、たとえば「グルメ」は味覚だけでなく、嗅覚、視覚も動員されていますし、そのレストランの環境で触覚も聴覚もつかわれています。
「体験」とはそのようなものです。
ただ「グルメ」においては味覚がその中心にあるのだろうと思います。同様に「音楽」は聴覚を中心に五感がからみあって「体験」となっています。
まあここでは古めかしく「五感」と便宜的に書いてますが、実際はもっと複雑です。なにしろこの「五感」はアリストテレスの分類ですからね。ここでは「外部からの刺激を受容する人間の感覚のすべて」ぐらいにとらえておいてください。

この「体験」を拡張する人類最大の発明が「ディスプレイ」だと思います。
受容のしかたで「娯楽」を「体験」と「ディスプレイ」にわけてもいいぐらいです。もちろん「ディスプレイ」を経由してても体験には相違ないですけど。

ぼくのかかわっている業界である映像/アニメはすべて「ディスプレイ」経由です。もちろんゲームも、ホームページやニュースサイトやブログも、チャットや Twitter や Facebook によるテキストベースの「会話」も、写真ですらいまや「ディスプレイ」上に表示されるようになっています。

これは今まで別の趣味だったものが、「ディスプレイでみるもの」として融合しつつあるということでもあります。

今まで「テレビ」という画面で、アニメはバラエティやドラマやニュースなどなどと競い合ってきました。それはかなり厳しい生存競争で、アニメは生き延びるためにビジネスの仕組みも内容も視聴層もスライドさせながら深夜へと時間帯を移行していきましたし、時代劇や歌番組はほぼ死滅しました。

でも、これからは今までの競争が「のどかだった」とふりかえることになるような、もっと全面的な「ディスプレイ」での戦いになっていきます。
「スマホのどのアプリをクリックするのか」基準であれば Twitter も Facebookも Chrome もモンストもパズドラも Kindle もすべて等価です。
そんななか、たとえばネットのブログや小説と、Kindleの小説はどうちがうのか、ブラウザで読む文字と電子書籍の文字は異なるものであり続けられるのかというとかなり疑問です。

ほかにも「ゲームとゲームのあいだにムービーが挿入される」と「アニメとアニメのあいだにゲームが挿入される」のちがいはあるのかとか。

同じ「ディスプレイ」で展開されるものですから(ゆるやかなのはまちがいないですが)、垣根はあいまいになり続けると思われます。

それでも一度体験してしまった「娯楽」は簡単にすたれることはありませんので、アニメも(どのようなカタチであれ)生き残ります。
ただ「アニメが生き残る」は「アニメに従事しているひとびとが生き残る」を意味しません。
むしろまったく別の次元の話だと、肝に銘じておくべきだと思います。



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