仏教ルールとキリスト教ルール

バーナムスタジオは創業時より「人脈とノウハウは無料」を社是として掲げているため、案件ともいえないようなちょっとした相談ごとがかなりの頻度で舞い込みます。

相談をされるわけですからなにかがうまくいっていないということなのですけど、最近よくいわれるのが

「功徳が足りていないのでしょうか」

です。
それはたしかに「アニメ駆け込み寺」的な場所ではありますが、「寺」はあくまで比喩のはずなのに坊主と檀家の会話にしか聞こえません。
以前そのようなことをブログに書いたのをご覧になられたのだと思われますが、立て続くと根強く(ゴーストに)ささやかれる「当ブログを読んでいるのは業界人だけ」説が補強されていきます。

徳を闇雲に積んでも仕事は楽にならないと思うのですけどどうなんですかね。

ちなみに里見の場合、徳を積むにあたって基本ルールはふたつです。

・前世は悪行三昧だったので埋め合わせないといけない(仏教ルール)
・善行は知られた時点でノーカウント(キリスト教ルール)

それぞれ仏教ルールとキリスト教ルールと呼ばれています(呼ばれてませんよ)。
里見は絶望的なまでに利己的かつ厭世的なので、この世の「善人」のみなさんよりもはるかに高速で徳を積む必要にかられて設定されたものです。
もう少し具体的に書くと、ぼくは生まれた瞬間からこの世に大量に借りがありまして、今世のうちにすべてを返済していかなければなりません。ただし、善行は知られると現世で有形無形の利得(感謝や信頼度や場合によっては金銭など)として報いを受けてしまうので現世内決算で相殺されてノーカウントになります
バレないようにやるのはほぼ不可能ですので、対価以上の善行を押しつけて相殺しきれなくする道しかないのです。

こりゃ厳しいと感じるかたもいらっしゃるかと思いますが、ぼくはこれぐらいでようやく「ふつう」になれる程度のしばりです。

ただ、気をつけておかないといけないのは、この考えかたは実はどちらもとても危うくて、他者に向けてはいけないのです(たとえば「責任」や「義務」あたりも里見のいう他者に向けてはいけない言葉です)。

前世も輪廻も本質的に身分や差別を肯定するからです。仏教がカーストの国インドで(しかも権力者にも)受け入れられた(もしくは仏教がカーストを受け入れた)最大の要因はここにあります。王さまも奴隷も前世のおこないの結果ですからね。
現状を肯定して固定してしまうのです。
ご使用の際はご留意ください。

キリスト教ルールも同様で、もともとはパリサイ派がこれ見よがしに祈るのをご覧になったイエスが、彼らはすでに現世で報いを受けてるよね、ちゃんと隠れて祈らないととおっしゃった故事にちなんでるのですけど、これはとてもパーソナルなものなので他者の介在は不要です。神以外は他者に向けていってはいけません。


つまり相談はいつでも歓迎しますし喜捨も大歓迎ですが、具体的な方策を聞いてくださいということです。

コメント
コメントする








   入力情報を登録しますか?
この記事のトラックバックURL
トラックバック
バーナムスタジオ

categories

archives

links

profile

others

search this site.