善悪の悲願

法務上、「善意」と「悪意」は日常用いられる善悪ではなくて「知らなかった」か「知ってた」かの意味になります。
まあ同じ行為でも「知らなかったならしかたないけど知っててやったならダメよ」となりがちで、知らなかったほうが有利なことが多いので(なにしろ善意というぐらいですから)、シラを切り続けることが適正な対処になります。

この「知らなかった」「予期できなかった」のたぐいは、ことの大小を問わず謝罪会見なんかでもよく用いられる話法ですが、予測できないほうが結果の責任を負わなくていいので正しい対応といえます。
責任者としてどうなのよと思うこともしばしですが、この世の中はそんな仕組みで動いています。

それはそれでよいのだと思うのですけど、責任の重さを理解するひとはその重さに応じて思慮深くありますので、副作用として「そもそも重さも理解できず責任も取れないかた」か、もしくは「有事の際は理解できないふりをして責任を回避するかた」が責任者の地位を占めるようになります。

対処法が「予測不能の不可抗力でした」と表明することである以上、予測不能の範囲が広いほうが有利、なんなら何も予測できないかたこそが最強ですから。

そんな理路なのではないかと。
結果は同じでも「知ってた/知らなかった」ことで周囲の判断が変わるというのは、法律として成文化するまでもなく感覚的に共有されているものなのだと思います。たぶんね。

なんかうまく超えられる仕組みがありそうな気もするのですが。

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