感情的な数字

政治家を選ぶ「選挙」というのは得票数が大事で、その後は支持率が大事になります。
テレビだと視聴率です。

この当たり前のように受け入れてる数字が問題なのではないかというお話です。

今挙げた数字たちはどれも本質ではなく、なんとなくの指標であるところが共通しています。

ぼくはテレビ(を中心とするメディア)が「報道」や「メディア」といった「物語/建前/モラル」を失ったことが現状の日本を用意したと考えているので先にご説明しますと、視聴率というのは「テレビを持っているひとのうち何人がその番組を見たか」というものです。
ご存知のように「よい番組をつくると視聴率が上がる」ものではありません。それが先ほど申し上げた「本質ではない」ということです。
にもかかわらず数字を追い求め続けるうちに番組の前提であった「物語/建前/モラル」が失われ、視聴率だけが指標となった結果が今であろうと思います。
具体的には、ニュースから「報道」の精神が抜け落ち、視聴率を求め続けて洗練されていった最新の番組フォーマットがワイドショーになる、のだと思います。

政治も同様で、「政治」という「物語/建前/モラル」を無駄なものとして排除し、得票数と支持率だけを考慮するのが今の政治家的なありかたです。
「このひとに政治をまかせたい」「このひとが一番マシだな」という投票者の集積が得票数ですから、もっとも効率的な動きは選挙の瞬間に「まかせたい」「マシ」と思わせることであって、つきつめると政治が不要になります。

小池百合子さんはおそらく選挙の公約をひとつも果たしていませんが、次の都知事選も「まかせたい」「マシ」と思わせて開票と同時に当選するでしょう。安倍晋三さんとならんでとても現代的な政治家だと思います。
つまり得票数も支持率も視聴率と同様に本質ではないということです。
分母である投票率を下げ、投票者を敵と味方に分断し、必要な数字を確保する現代的でスマートなやりかたにくらべて、政治を語り支持を集めていく旧世代のやりかたはとても非効率です。


この視聴率、得票数、支持率といった数字たちの共通点が「感情的」です。

かつて小池都知事が築地市場の移転に際して、安全は確認されたが安心が得られていないという意味のことをおっしゃって移転時期を延期していました。これがここで申し上げる「感情的」です。
おそらくかつては政治にも報道にも「物語/建前/モラル」で彩られたいわば綺麗事があったはずなのですが、指標とする数字と重なっていない、どころか今となっては数字を獲得するうえでむしろ障害となるため失われていったのだと思います。

そうして残されたのが、ひとの変化しやすい感情を煽り瞬間的に自分に集める「いかに効率よく数字を稼ぐかゲーム」です。



というようなことを「感情的な数字」というワードでつらつらと考えています。
ほんとはもう少し丁寧にちゃんと書くほうがよいのですけど、めんどうなのでまたそのうち。

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