過去をふりかえって語るとどうしても記憶を上書きして「あのころからおれはわかってた」になりがちなので「そんなことないよリアルタイムではこんなもんだよ」を残しておこうと思います。
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評価はいろいろあるでしょうし辞任理由が病気なのでこのタイミングは本意ではないのでしょうが、安倍首相は最後の1年(消費増税からコロナ対策)以外はおおむねうまくやってたと思うので、前回の任期で退陣してたら偉人になれてたんじゃないかしら。
引き際って大事だなあと思います。
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組織ぐるみで公文書の改竄・捏造・隠蔽に公金ぶちこんでの官製株式相場と後始末しにくい爆弾をたくさんつくりましたけど、結局「長期政権」の存在そのものがもたらした安定がメリットだった気がします。あと何度でも書くけど安倍首相の最大の功績は北方領土問題を解決したことだと思うよ。
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ぼくの安倍首相/政権に対する印象は、速水螺旋人さんのブログがとても近いです。 https://rasenjin.hatenablog.com/entry/2020/08/29/054658
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まあこの長期政権下で完全に崩壊したのは「官僚」と「マスコミ」なのでこれがまだ致命傷じゃないとよいですね。
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黒川検事長の定年延長をめぐる一連の騒ぎには悪をなす黒幕がいてなにかしらの意図に沿っておこなわれてるといった陰謀論に陥りがちですけど、安倍首相にも内閣にもその背後にも、たぶんそんなものはなにも存在してないです。
きっかけは「定年をちょっと延ばせばおたがいにとってうまくいく」状況で、おそらく内閣のだれかの「やさしさ」からいつものように希望をかなえるために押し通そうと思ったら、それが違法行為だと発覚したので、あわてて法解釈の問題にすり替えて法務省に押しつけたことです。
もちろん突然の思いつきですから存在しない議事録はいくら探しても見つからないので、法相は「口頭決裁」をくりかえして耐えるはめに陥るわけですが、これは法務省にとって屈辱的です。同じあやまちはなんとしても回避しなければなりません。
そこでたまたま同時に動いていた検察庁法改正に今回のケースをクリアする内容が急遽盛り込まれたわけです(ほんとはこの法案が黒川氏の定年より先に成立してるはずの予定だったのかもしれませんけど)。その意味で黒川氏の問題はきっかけではあるが直接黒川氏を正当化するためのものではありません。あくまで今回法務省に起きた「惨事」をくりかえさないように、また今回のような事態が起きても問題ないように「合法化」しただけだと思います。
だれも先を見通してないし、悪意も存在してなくてただその都度場当たりで動いた結果です。
見通してたら仮にも法務省と呼ばれる組織が「法解釈の変更」の名の下に違法行為に手を染めたうえに、何度も騒ぎになるような段取り組まないですよね。
ふつうに回避する手段はいくらでもあったわけで。 ただただまんべんなくものごとの遂行能力が低かったのだと思います。
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安倍首相は説明能力が低いだけな気がします(奥さんは変ですけど)。ほとんどのことが説明できないので質問されるとどんなことでも「隙になっちゃう」のだと思います。たぶん安倍首相に「昨日の夕飯は?」みたいな質問をしても(ご本人がすぐ思い出せないと)答えはダラダラ長いが何を食べたかわからない、になると思います。これは「頭の中で自分の意見をまとめようと時間を稼ぎながらがんばってる結果」なのですけどあまりにしどろもどろなので、「質問に答えられないのは何かうしろめたいことがあるにちがいない」ように見えるのだと思います。
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政治家が残念な能力なのは選挙の結果なので国民に似つかわしいかたたちが選ばれてるからしかたないとして(安倍首相の長期政権を強く支えてるのは野党だということも含めて)も、 その残念な政治のつじつま合わせに虚偽発言や公文書破棄を辞さず、「ファクスで集計」や「エクセル関数計算禁止」といった反知性的なオーダーにも愚直に応える官僚組織はおそらく世界的に見ても能力は優秀なのだと思うので、ポジティブにつかいこなすトップに恵まれるといいですねー。このままだと優秀な人材はばからしくて官僚にならないですからね。
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安倍首相ってたぶん本質的には「自分のやりたいことは憲法改正以外そんなになくて、周囲のみんなの希望をかなえようとするいいひと」なんだと思うのですよね。だから桜を見たいひとがいればどんどん受け入れるし、北方領土もほしいといわれればロシアにあげちゃうし。今回のも安倍首相の希望ではなく周囲の誰かの希望なので、ちゃんとかなえようとすると思います。
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首相の言動に合わせて書類が消えたり現れたりちがう意味になったりするの「ニューイヤー星調査行」みたいだなとちょっと思った。
おまけ(このブログで触れてたもの)
感情的な数字
http://blog.barnumstudio.com/?eid=1303922
痴性化戦争
]]>ホラー小説的なおもしろさですけど。小池さんご本人の半生ももちろんホラーなのですが、とくに政治家として転身をくりかえす後半部は取材をしなくても世に出ている情報でかなり描き出せる内容にもかかわらず、(一部雑誌メディアをのぞいて)報道されることなく今に至っているメディアの現実も含めて。
ぼくは先日ブログにも書きましたが「今の状況はほぼメディアが用意した」と思っています。
といってもメディアや政治を構成する個人の問題ではないです。
視聴率や部数や投票数や支持率といった複雑なものを〇✕で抽出する手法に原因があります。
そんな粗く感情的な数字を獲得するのに特化した結果、本来のメディアや政治の「物語」が衰退して、さらに数字獲得に特化しまた「物語」が薄まり……という悪い連鎖の果てが今をつくっています。
小池さんはあらゆる局面で「数字になる/ならない」に忠実に判断しているだけなので、おそらくご本人のなかで嘘や裏切りへの葛藤もないと思います。そういう意味でこの数字特化の典型なのだと思います。
描かれた内容の精査は今後なされていくでしょうが、大枠はゆるがないだろうと思います(小池さんもよっぽどの切り札がなければ否定は数字にならないので無視かうけながすかでしょうし)。この悪い連鎖のなかその中心的人物に向けてこれだけ直接的な著作をものした筆者の姿勢に敬服します。
あとは「報道の使命」だとか「社会の木鐸」といった「物語」を喪失したメディアがこの著書の記述を「数字になる」と思えば動き出すのですがどうなるか。
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Baoshu
Tor Books ¥ 2,116 (2020-06-02) |
最近とみに集中力が落ちてきてなかなかフィクションが読めなくなってきてるのですが、『魔眼の匣の殺人』だったか『カッコーの歌』だったかあたり以来、ようやく娯楽文芸にたどり着きましたよ(ちなみに今のところ今年のぼくのベストは『カッコーの歌』です)。
『拳銃使いの娘』に続く本年2冊目の「犯罪者の娘」ものです。『拳銃使いの娘』(これはすばらしい出来です)とだいぶ趣きは異なりますが、こちらもとてもおもしろかったです。
前者は脱獄した父と逃避行に出る娘ですが、本作は脱獄した父を狩る娘(もちろん父のハンティング技術は英才教育ですべて習得済み)です。
ほらこの設定だけでもうまちがいないでしょ。
あえて不満をあげると、現在と過去が交互に語られるのですが、過去の比重が高く感じたのでもうちょっと後半の父娘の駆け引きが長くてもよかったかも。
それにしても最近現在と過去のザッピングで進める形式をよく見かけるのですけど、どうなんですかね。なんらかのしかけがほどこされてる場合は別ですが、著者の作意というか情報コントロールの都合が透けてる感じがしてあまり好きではないのですけど。はやってますよね。
なので、本作だと現在パートのターニングポイントまでを第1部、過去パートを第2部、現在パート残りを第3部だと完全にぼくの好みになります。
とはいえこれだけヘビーな内容にもかかわらずあっという間に読んでしまいましたので、おすすめです。
なんとか仕事に活かせそうな(?)読書ができましたが、広い心で解釈してもやはり10冊に1冊ぐらいなのかも。とほほ。
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あとまた新人作家の初短篇集ですけど Amy Bonnaffons "The Wrong Heaven" はとてもよかったです。それこそ上記 Seth Fried の短篇集 "The Great Frustration" をちょっと思い起こすような。こっちのがひとを食ったようなユーモアが強くて好みかも。
全然SF読んでないな。たまには読まないとと思ったけど、ネットで呉座勇一と論争してるのを見かけたので井沢元彦の「信濃戦雲録」シリーズを再読することにしました。
あれはなんなのかと思っていたのですけど、ふと気づきました。
「怒りっぽい」は単独で存在しているのではなくて、すべての感情が豊か(悪くいえば制御不能)なのですね。で、それはおそらく人間の本来の姿なのだ思いました(酔っぱらいのかたがたも拝見してると怒ってたり笑ってたり泣いてたりするので理性のタガがゆるむとそんなものなのだと思います)。
「感情」は自分の気持ちをあらわにすることで他者に影響力を行使する原初的な「伝達」です。
そして「支配」でもあります。
乳児はだいたい泣いて気持ちを伝達していると同時に、自己の欲求をかなえさせるよう周囲を支配します。少し成長して幼児になると泣くか怒るか泣きながら怒ることで周囲を支配するようになります。
どこかでほとんどのひとは自分が世界の中心ではないことに気づいて世間と折り合いをつけて、あんまり泣いたり怒ったりしなくなるのですが、いわゆる「怒りっぽい」ひとはそのころと変わらず「自己の欲求をかなえさせるよう周囲を支配」するもっとも簡単なソリューションを採用し続けているのではないかと思います。
それ自体はいいも悪いもなくて、偉人と呼ばれるかたがたなんかむしろそっち系のひとのほうが多いのではないでしょうか。たとえばスティーブ・ジョブズさんやヨシユキ・トミノフスキーさんなんかも怒りっぽい伝説がたくさんありますし、単にそのひとの個性の範囲です。
とはいえ単なる個性であり、さらにいえば「怒り」だけでなく「喜び」も「悲しみ」も豊かなはずのになぜ感情の中で「怒り」だけがピックアップされるのか(「怒りっぽい」はあるけど「喜びっぽい」とか「悲しみっぽい」はないですよね)、そしてなにより怒りっぽいひとはなぜめんどくさいのかという問題があります。
根本的に感情は自己の欲求と強くつながっていて、「感情があらわになっている=本人が感情のコントロールを失っている」ということです。
「怒り」は自分の要求がかなわない不満を他者にぶつけて、他者の行動や変化を支配することでかなえさせようとする感情の発露です。
ここで不幸なのがふたつあります。
ひとつめは「知識は知性に影響を与えない」ことです。 里見が折にふれて申し上げている「バカに知識をあたえるとかしこくなるというのはまちがいで、単にめんどくさいバカになる」の法則と同じです。
「知識」は「情報」であり「情報の受容」は実に「取捨選択」ですから、どうしても偏りが生じます。すると知識が人格をおだやかにすることは原理的に不可能で、自己の都合のよい武装を強化する方向に選択されていきます。
つまりどういうことか今回の「怒り」でご説明しますと、知識が「怒り」をなだめることはなく、「怒り」に正当性をあたえるだけだということです。そのような知識だけを選別してますからあたりまえです。
もうひとつは「怒りっぽいひとは我慢強い」ことです。 はたからは怒られてるひとが被害者で怒ってるひとは加害者なのですけど、そこが実は正反対で、怒ってるひとは常に「被害者」なのです。幼児でも酔っぱらいでもクレーマーでもモンスターペアレントでもみんなそうです。
なぜなら怒りっぽいひとは100回の怒るべきシチュエーションを我慢強く耐え抜いてそのうちの30回ぐらいしか怒っていないからです。ふつうのひとはそのうちの10回ぐらいが怒るべき状況で、さらにそのうちの2〜3回で怒っています。
ここからもわかるように、ふつうのひとはたった7〜8回しか我慢していないのに対して怒りっぽいひとはなんと70回も我慢をしているのです。 なのでその我慢強さを凌駕する「不快」は決して許せないものになり「怒り」の正当性はゆるがないものになります。そこにいたるまでにたっぷりと耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んでいるのですから、怒ってる側が「被害者」になります。
だから怒ってるひとを説得するコストは異常に高くなるし、多くの場合は徒労に終わるし、主張がくつがえらなかったことでより先方の怒りの正当性を強めることになります。
かくして怒りっぽいことは成功体験として人格に定着していったのではないかと思います。
そんなわけで以上ふたつの理由により、他者にとっての「感情のコントロールができない」ひとは、本人にとっては「論理的で我慢強い」ひとになります。
まあ「怒りっぽい」かたがいちばん理解できてないのは「怒りっぽいひとが怒らなかった」というのは、本人にとっては「広い心で我慢した偉大な自分」ですが、周囲のひとにとっては「地雷原で地雷が爆発しなかった」だけだということなんですけどね。
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